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7.宮本けんしんさん(リストランテ・ミヤモト)

プロフィール

リストランテ・ミヤモト 宮本さん

1975年熊本生まれ。イタリア料理店を営む家に生まれ、19歳で渡伊、ミシュラン二つ星「ラ・テンダ・ロッサ」など3店で計8年間修業。帰国後、しばらく実家の営む「イタリー亭」(熊本・山鹿市)で勤務したのち、2006年「リストランテ・ミヤモト」を独立開業。11年、九州の料理人と生産者の会「アルチザンクラブ」を結成、同年、農林水産省「料理マスターズ」ブロンズ賞を受賞。13年阿蘇が世界農業遺産の認定を受けた際の立役者としても知られる。

 

今こそ、「食べること」

 の原点に。

熊本地震から、2ヵ月後の6月14日。地震の震源地となった益城町の東無田公民館で、「最初の晩餐」という食事会が開催された。

9割全壊の集落で開いた

1日レストラン

東無田地区は布田川断層上にあり、集落に建つ120軒のうち100軒が全壊した。しかし地震前に住んでいた400人の住民のうち、約150人は「ふるさとを離れられない」と、今もまだ集落に残り、庭にはったテントや簡易小屋で夜をしのぎながら1日も早い復旧を志している。

この事実を知った地元料理人や生産者、バーテンダーなどの有志が、「この場所で、何かをしたい」とビュッフェ形式の出張レストランを企画。地震後、初めて集落の住民が一堂に会し、主催者側と出席者が一つになって勇気づけあった。

その中心となったのが、「リストランテ・ミヤモト」の宮本けんしんさんだ。

そもそもは、益城町での炊き出しが事の起こりでした。5月1日、町の要請を受けて全国から応援に来てくださった料理人の皆さんとともに、益城中央小学校で炊き出しをしました。帰途、友人が「宮本さんに見ていただきたい集落があるんです」と連れて行ってくれたのが、東無田でした。

大きな断層のずれがいくつもあり、9割の家が全壊している。まるでこの世の終わりのような光景に、涙が止まりませんでした。しかし、たくさんの方がまだここに残って生活しているのです。そして、そこでお会いしたご夫妻の「もう一度、この集落を立て直し、灯りをともしてみせる」という力強いお言葉。それを聞いた僕は、気づいたら「ここの皆さんのためにご飯をつくらせてください」と、申し出ていました。

皆さんが一堂に会するために、“料理人がおもてなしをする出張レストラン”という「最初の晩餐」のコンセプトも自然と頭に浮かびました。そして会長を務める「アルチザンクラブ」のほか、料理人の組織や友人たちの助けを得て計画を練り、1ヵ月半の準備の末に会が実現したのです。通常の炊き出しでは30〜40人の方が利用されるとのことですが、この日は130人の方が参加。本格的なイタリア料理の夕べを楽しんでくださいました。

もてなす側が

もらった勇気

レストランの語源は、「回復させる、元気づける」という意味。何かの終わりでなく、はじまりとして。もてなす側もお客さまも元気になれる、そんな1日になったとしたらこれほど嬉しいことはありません。

僕自身、地震直後から店近辺の熊本市中心地でずっと炊き出しや支援物資の窓口として動いてきたけれども、自分だって被災者です。余震も収まらないし、もう一度大きな地震が来る可能性もゼロではない。正直な心情を吐露するならば、ずっと怖かった。

そんな気持ちが少し変わったのは、東無田の皆さんに出会ってからです。大変な被害を受けたのに「この明るさは何だろう」と。考えてみると、自分はすごい地震があったという事実をまだ受け止めきってはいなかったのかもしれません。自分の中にある不安や恐怖を本当に受け入れたとき、初めてこれを乗り越える勇気や覚悟も生まれてくるのだと感じました。

地域のハブとして

炊き出しに尽力

地震直後の宮本さんの動きは、誰もがインターネット上で見られる「公開」設定で綴る個人のFacebookに詳しい。県内各地の生産者、全国の料理人とつながる宮本さん。地震直後は地域の支援の、いわばハブとして尽力した。

14日の揺れは、夜の営業中のことでした。電話が通じなくなり、とにかくお客さまに無事に帰宅して頂かなくてはと、スタッフが街に出てひとまずタクシーを確保。お客さまをお送りしてから、店の全員がいったん帰宅して家族ともども店に戻り、みんなで一夜を過ごしました。

翌朝はいったん解散して僕は店で仮眠。夜になって店舗入口に立ち、ちょうど外の様子を見ていたとき、本震が来ました。2階の窓ガラスが僕の目の前に落下し、外壁も崩落、看板が割れ……。向かい側のマンションの窓からも花瓶などが落ちてきて、あっという間に深夜の真っ暗な道が避難所へ向かう人の波で埋め尽くされました。

ワイン売り場で瓶が散乱

僕も、その波にのって最寄りの避難所である小学校へ。そこに集まった方々を見たら、「明日からメシはどうするのか」とすぐに思った。避難所の責任者の了承を得て、17日から炊き出しをはじめたのです。店のガスはプロパンガスだったので、すぐに調理ができたのは助かりましたね。普段から、ほとんどの食材を生産者さんたちから直接仕入れるため連絡を密にとっているので、「宮本さんとこで何とかして」と、食材もどんどん集まって。僕だって被災者なんですけどね(笑)。

店のある辛島町はビジネス街なので、案外、住人同士のつながりがないうえに古くから住む一人暮らしのご老人も多い地域です。そこで知人と力をあわせ、離乳食やアレルギー対応食、介護食なども用意して配布しました。また届いた支援物資を農家さんが軽トラックで計80ヵ所に運んでくれたり。九州内ほか、東京や東北から応援に来てくださった皆さんとの再会も嬉しく、みんながこんなに熊本を思ってくださるということに、本当に勇気づけられました。

落合シェフ・奥田シェフなどが炊き出しに

熊本まで駆けつけた辻口シェフ

改修工事中も営業

真の復興のために

必要なこと

7月に入り、観測される地震は徐々に減少傾向だ。被災してストップしていた各種工場の稼働も、大半が復旧してきた。しかし「益城も阿蘇も、完全な復旧までは先が長いと思う」と宮本さん。これからが正念場とも言える。

復興支援で全国の皆さんが熊本に目を向けてくれるのは、本当にありがたいことです。でも、こういうときだからこそ、地域での買い支えが重要だとも思います。

自然豊かな土地は日本各地にありますが、熊本のすごいところは、四季を通じて産物がとれるという点。産物の種類も、肉あり、魚あり、穀物あり、果樹あり、野菜あり……熊本県は、農業生産高で上位にランクインする都道府県のなかでも、とりわけ品種が多岐にわたっているんですよね。極端な話、独立しても普通に食べていける(笑)。

熊本でも、徐々に地域の食材を大切に考える飲食店さんが増えていますが、その魅力を理解していない地元の方もまだ多いように思います。大都市の消費は、当たれば大きいけれども移り気なところもありますから、同じ地域のなかで売り買いの循環、信頼関係を育てることも大切です。

リストランテ・ミヤモトも、開業時より「生産者さんから直接仕入れる」のがコンセプトです。八百屋さんからの仕入れが本当に少ないので、たとえば夏場となれば豊作のトマトをなんとか使いきるように頭をひねったり、逆にイタリアンなのにトマトの入荷がなくて、「えー? 今日どうするんだ」と焦った日もありましたけど(笑)。でも、地元生産者さんとともに歩む路線は譲らなかった。制限を課すことで工夫が生まれるし、自分も成長できたと思うんです。

「食べること」の

意味を問い直す

奇しくも、2016年は「リストランテ・ミヤモト」開業10周年にあたる。節目にあたり、店のあり方を見直すなかで考え続けてきた疑問や課題が、熊本地震でより鮮明になったと、宮本さんは言う。

これまでの10年は地域に寄り添い、とにかく熊本のために何ができるか、そればっかり考えてやってきました。これは本当の気持ちです。でも自分も40歳をこえ、店を開いて10年経ち、次の段階にさしかかっているように感じていました。料理の意味や食の原点について、思いをめぐらせることが多くなっていたんです。

自分がつくってきたのはイタリア料理ですが、自分の味覚の記憶をたどってみると、修業時代にヨーロッパを旅して街角で食べたストリートフードを次々に思い出すんですよね。フィレンツエでトルコ人が焼いていたケバブとか。キャンティでおばちゃんが串に刺して焼いていた鳩とか、大好物でよく食べていたモルタデッラのパニーノとか。素朴だけれど、本能的に「旨い」と思える料理ばかりです。そして、やっぱり「肉」(笑)。

そんな思考のなかで、イタリアを取り巻く地中海の食文化を再確認しようという気持ちになったり、人類の起源であるアフリカの食の原風景を見たくて、震災前は今年タンザニアへの旅を計画してもいました。

そこへ、この大きな地震が起こりました。炊き出しや東無田での出張レストランの経験を通し、改めて「食べること」って何だろうと考えずにはいられませんでした。東無田では人間が地震でやられて弱っているのに、かえって生き生きと咲き誇るアジサイや野菜が目に飛び込んできました。地震があろうとなかろうと、自然というのは変わらずそこで生き続けるということを感じました。

この自然界の生命体の一つとして人間を考えたときに、そうだ、食べることは「生きるため」だよなあと。古来、生きるために人間は食べてきた。徐々に、よりおいしく食べたいという嗜好性が生まれ、そのなかで料理の技術、ガストロノミーが発展してきたわけですが、これからの時代、技術とか芸術性だけを追い求めるだけでいいのだろうか。特に、こうして豊かな自然の中に生き、大きな自然災害を経験した自分だからこそ、料理を通じてできること、やるべきことがもっとあるんじゃないかと思うんです。

これらの考えがつながり合い、この7月からメニューを一新しました。メインを肉に特化し、厨房に炭火を導入。人間が「調理」をはじめたときの火を扱うという感覚に立ち戻り、まずは正面から火と向き合ってみたい。炭火で肉をグリルし、その熾き火でローストするという具合にオペレーションも見直しています。タジンや鉄鍋での調理にもチャレンジしています。熊本・荒尾市の小代焼で素焼きの土器をつくり、肉を焼くという計画もあります。

ここしばらくは、模索しながら色々チャレンジしたい。次の10年、農業県に生きる料理人として、食の原点を見つめていきたいと思います。

取材・文/坂根涼子

 

店舗情報

店舗

リストランテ・ミヤモト

熊本市中央区辛島町6−15

クマモトイタリー亭ビル1階

TEL: 096-356-5070

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