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6.原田雅之さん(南阿蘇 素材のみる夢 めるころ/ラタ)

  • shibatashoten
  • 2016年7月8日
  • 読了時間: 9分

プロフィール

めるころ 原田雅之さん

1957年福岡県生まれ。結婚を機に1981年熊本・南阿蘇に移住。14年間にわたって熊本県内で大手スーパーのベーカリー部門に勤務し、1996年「南阿蘇 素材の見る夢 めるころ」を独立開業。2013年、郊外住宅地の光の森に教室を併設した製菓製パン材料の店「ラタ」をオープンし、一般・プロそれぞれに講座を開講している。

 

みんなが、背中を

 押してくれるから。

熊本地震から約2ヵ月が経った6月11日。南阿蘇村で1店のベーカリーが営業を再開させたという明るいニュースが、地元紙やパン好きのSNSを賑わせた。

2度の地震で

壊滅的な被害が

「南阿蘇 素材のみる夢 めるころ」は、オーナー・原田雅之さんがちょうど20年前に人気の観光スポットである南阿蘇村に開業したベーカリー。観光シーズンともなれば、多くのファンで混み合う繁盛店だ。3年前には、熊本郊外のベッドタウンである光の森に、教室用キッチンを併設した製菓製パン材料店「ラタ」をオープンし、地元の常連客も着実に増やしてきた。

しかし、4月の熊本地震の影響で、南阿蘇村は甚大な被害を受けた。16日未明の地震では土砂崩れによる死者が出たほか、交通の要所である阿蘇大橋が崩落。村は一時孤立し、めるころ本店も再開のめどが立たないまま長期休業に入った。

ワイン売り場で瓶が散乱
暖房機器が倒れたキッチン

14日ももちろん揺れましたが、とにかく16日の地震には驚きました。僕ら家族は阿蘇大橋から数キロの場所の自宅にいましたが、なんとも言えない低い地鳴りが聞こえて、一体何事だろうと。後から考えたら、ちょうどその頃阿蘇大橋が崩れていたんですよね。

朝が来て、明るくなったのですぐに店を見に行きましたが、「これは、ひどい」と呆然としました。大きな厨房機器も倒れたり動いたりして、キッチンはめちゃくちゃ。発酵機に入っていたパン生地が散乱し、冷凍庫の扉もあいてしまい、ストックしてあった素材が溶け出して、まさに壊滅的な状態でした。

実はこの日は娘が熊本市内にいましたので、すぐに様子を見に行きたかったのですが、交通がどうなっているかが分かりませんでしたから、ひとまず16日昼間は自宅の庭で様子を見て。そして自転車で周囲をまわってみました。崖から大岩が落ちてぺしゃんこになった車、地盤が動いたため今にも崩れ落ちそうな建物などを目にし、村全体が甚大な被害を受けたことが分かりました。

夕方になり、「通れる道があるらしい」との情報を得て慎重に車を走らせてみたところ、ふだんなら1時間弱のところ4時間かかりましたが、熊本市内に出ることができました。

支店ではじめた

臨時営業

原田さんの娘さんは南阿蘇から離れた場所に住んでいたため、地震の翌日にあたる17日には比較的被害の少なかった支店「ラタ」へ。自力でキッチンの復旧を果たし、本店再開のめどがつくまでは、ラタのキッチンでパンをつくり、営業するという思いを固めた。18日からは手さぐりでパンづくりをはじめ、1000個ほどの塩バターパンをつくり、一部はラタで販売、一部は南阿蘇の役場を通じて無料で配布した。

改めてつくづく思ったのですが、パンというのは非常食にはとても重宝する食べものだなあと。常温でも日持ちするし、手で食べられて、弁当箱のようにごみも出ない。

ただ、地震直後という状況で「売っていいのかどうか」が悩ましいところでした。東日本大震災のときにも食糧配給の様々な試みを知り、ベーカリー仲間と支援について話し合ったことがあります。パン屋として貢献できる形をずっと考え続けていた最中に、自分自身がその渦中におかれたのです。

考えてみると、ラタの場合、光の森では周辺のお客さまも自宅で過ごせていたし、普通に販売してお買い物していただくのが自然でした。5月に入ってからは、僕らの手がまわらないぶん全国の仲間が販売用にと焼き菓子などを送ってくれて、まるでセレクトショップのように多彩な品揃えで、お客さまに喜んでいただけました。

全国のベーカリーの焼菓子で埋め尽くされた売り場

一方の南阿蘇では、住民の皆さんはとてもパンやお菓子を「買う」ような状況にはありませんでしたし、もちろん外から買いに訪れる観光客はいないわけですから、そうした状況にあればパンを売るなどはとても考えられません

被災地だからといって、一口に「無料がいい」「売っていい」とは決められない。結局は、場所と被災の状況によって判断するしかありません。今回、それが自分なりの結論となりました。

仲間の応援で

再起を決意

南阿蘇では本震後10日以上にわたって余震や土砂崩れへの警戒モードが続き、本店の復旧には手がつけられないまま時間が経っていった。「一時は、『めるころは、もう閉めるんじゃないか』と地元の方にも思われていたようです」と原田さん。しかし、「お世話になった地で再起を」という思いは、ずっと心にあったという。

僕自身は、福岡生まれ。でも南阿蘇が好きで、結婚してすぐに2DKのアパートを借りてこの村に住みはじめ、20年前に店も開いて。ずっとお世話になってきた土地の方々に貢献しなくちゃいけないという気持ちはありました。

近くの温泉地では、廃業を決めた旅館さんもあります。僕らが店の掃除をはじめたところで突然オーナーさんがやって来られて、「うちは、もう閉める」と。でも「廃業する自分が言うのもおかしいけど、めるころさんは村のためにも頑張って」と言ってくれました。心から、「もう一度、ここで店をしたい」と思いました。でも、被害の規模が大きすぎて、手をこまねいていたのも事実です。

そんななか立ち上がる力をくれたのは、ベーカリー仲間の応援でした。明石克彦さん(東京・桜新町「ベッカライ・ブロートハイム」)はじめ、当初から心配してくれていましたが、しばらくは「かえって混乱させるから」と様子をみてくれて。状況が一段落したのを見極め、4月28日から2日間、パン職人と製粉会社などのメーカーの皆さん、あわせて40人が東京や群馬、福岡などから南阿蘇に集まってくれたのです。

この人数でパンと洋菓子、二手に分かれて一気に片付けてくれたので、わずか2日程度で相当作業が進みました。それからも北海道や岐阜から個別に見舞いに来てくれた方もいます。実は地震直後から今にいたるまで、ずっと応援のスタッフを派遣してくれているお店もあります。本当にみんなに背中を押してもらって手を引っ張ってもらって、ようやくここまで来たなあと、感じています。

仲間が集結。一気に片付けが進んだ。

危機への対応を

未来への投資に

再起を固く決意した4月末からは、再開への経営計画を練った。とくに重視したのは、お金のこと。銀行や業者とのやり取りを重ねた結果、原田さんは鮮やかな方向転換を果たし、勝負に出る。この局面で1億6000万円にのぼる借り入れを決め、店舗の大規模な改修、設備投資をはかったのだ。

すでに阿蘇エリアで営業を再開したお店の状況を伺うと、売上げ7割減という話も珍しくなかった。交通が寸断された南阿蘇はもっと厳しいかもしれない、ならば月々の返済を見直さないといけないと考えたのが最初でした。

金融情報を調べてみると、国の災害指定を受け、被災した中小企業向けの特別融資プランがはじまったのが分かりました。銀行から提示されたプランは、金利も非常に低く、通常なら数年で返済のところ、設備投資なら20年、運転資金なら10年で返済すればいいという破格の条件です。

ならばいっそのこと、ちょうど開業20年を迎えて老朽化している部分も含めて、店を新しくリニューアルしようという計画がすぐに頭に浮かびました。そこで、めるころのメインバンクである地元阿蘇の銀行に同じ条件での融資を依頼。なんとか頑張ってもらってそれまでのローンを借り換え、新たな借り入れも含めて1億6000万円を調達できることになりました。月々の返済額も、地震前の3分の2に抑えられたのです。

もともと不調だったうえに地震で排気管が壊れた4枚差しの平窯を買い替え、分割機を新たに入れ、冷蔵庫も新調しました。落ちた壁はもちろん、ボトルが割れて流れ出たワインのにおいがとれなかった店舗の床を、木材からタイル貼りに替えるなど、充分な改装をすることができました。

入れ替え前の窯
新たに替えたテラコッタカラーのタイル

借り入れの交渉と改装計画を並行して進めたので、借り入れ額が確保できた段階で工務店さんへの注文が少しずつ増えて(笑)。5月半ばに改装をはじめましたが、工事が完了したのは6月9日。営業再開もそれにあわせて決めたために地震から約2ヵ月の休業となりましたが、結果的によいかたちで再開できたと思います。

次の世代に

つながる夢を

ちなみに「めるころ」という店名は、娘の恵さんが幼稚園生のころ、ままごと遊びのなかで考えだした「めるころレストラン」に由来する。その恵さんも、今は妻の喜美恵さんとともに、店の販売スタッフとして活躍中だ。そして息子の良平さんは、ドイツでパン職人の修業4年目。マイスターという職人資格取得を待ち、今年秋には帰国予定という。幼い娘さんの夢みた店が原田さん夫妻の夢となり、そしてまた次の世代につながっていく。

売上げ半減も覚悟して営業再開したものの、ありがたいことに本当にたくさんのお客さまに来ていただきました。遠方から「会社仲間で配ります」などと5万円の注文をくださる方もいて、今のところ売上げはなんとか1〜2割減にとどまっています。このままアクセスが復旧しないと、冬は道も凍って自分たちの通勤自体が危うく、厳しいかなと心配はしていますが……微力ながら、この場所で営業を続けることが村の活気につながると思って頑張ります。

ただ復興というのは、やはり1人ではできない。今回ほど、こんなにみんなが助けてくれるんだと感じたことはありません。無駄に何十年も店を続けてきたんじゃなかったと思えました。7月30日にも、めるころで復興支援のパンイベントが決まっているんですが、これも、みんなが「やるぞ」と言ってくれて、僕は「はい、わかりました、やります」という感じ(笑)。僕のほうが、みんなのアイディアやスピードについて行くのに必死ですよ。だけど、こんなにみんなが自分たちのために、動いてくれている。だから立ち止まれない。長い時間がかかっても、復興に向けて進み続けたいと思います。パンを焼いていてよかった。パン屋でよかった。みんなに会えてよかった。

取材・文/坂根涼子

 

店舗情報

店舗

南阿蘇 素材のみる夢 めるころ

熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽坂の上3765

TEL: 0967-67-2056

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