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5.細川亜衣さん(泰勝寺)

  • shibatashoten
  • 2016年7月1日
  • 読了時間: 9分

プロフィール

泰勝寺 細川亜衣さん

1972年神奈川生まれ。大学卒業後、日本とイタリアを行き来しながら東京で料理教室を主宰。2009年9月、結婚を機に夫・細川護光氏の故郷である熊本に移住。11年より菩提寺の泰勝寺にて、マーケットや料理会、教室などさまざまな食関連の企画をしている。著書に「スープ」「食記帖」(ともにリトル・モア)、「イタリア料理の本」(アノニマスタジオ)、「わたしのイタリア料理」(小社)など。

 

つくり手と食べ手、

熊本と全国の架け橋に。

熊本市街地でありながら手つかずの自然が残され、市民の憩いの場として愛されている立田山。熊本大学を擁し、アカデミックな雰囲気も漂う緑豊かなこのエリアの一角に「泰勝寺」がある。寺の跡地で2011年ごろから衣食住にかかわる多彩なイベントを企画運営しているのが陶芸家の細川護光さんと、妻で料理家の亜衣さんだ。

改装後、初の

イベント前夜に揺れが

結婚を機に熊本に移り住んだ細川さん。泰勝寺では、茶会や花会、農業生産者が集うマーケットを通して熊本の食の魅力を発信すると同時に、自身の人脈を生かして国内外からつくり手を招聘する料理会などを開催してきた。

14年からはイベント専任のスタッフとして平山千晶さんが運営メンバーに加わり、より多彩な企画を実施。独自の洗練された世界観が、熊本はもとより、九州内外からも熱心なファンを惹き付けている。

15年秋からはさらなる飛躍を視野に、半年間をかけて泰勝寺敷地内にある家屋を大幅に改修した。地震が起こったのは、折しもリニューアル後初の企画展となる「三谷龍二 日々の器と道具展」開催前夜のことだった。

木工デザイナー三谷龍二さんの作品

企画展は、15日から17日の3日間で開催予定でした。三谷さんは松本在住の木工デザイナー。各日開催する料理会のために東京や台湾からもゲストをお招きしていましたので、14日は展示の準備を済ませたあと、泰勝寺の新しい食堂でみんな一緒に夕食をとりました。揺れを感じたのは、ちょうどデザートを食べている時のことでした。

とはいえ、その日は卓上のコップから水がこぼれたくらいで被害はほぼ無し。揺れが落ち着いてから三谷さんともご相談し、翌15日は予定通りイベントを実施することに決めたんです。

開催には、迷いもありました。もちろん安全を第一に考え、万一の場合に備えて事前に避難経路などの打ち合わせもしましたが、結局、料理会はお客さまのキャンセルが相次ぎ、ごく小規模に。一方、展示のほうはお子様連れで見に来てくださったお客さまも多く、終始和やかな雰囲気で「やっぱり、開催して良かったね」と一日を終えました。

地震後の

帰宅困難を実感

この時点では、まさかこの夜にもっと大きな揺れが来るとは思ってもいませんでしたから、夕食後、それぞれ自宅や泰勝寺敷地内のゲストルームへ。本震はそろそろ寝ようか…と思っていたタイミングでした。あまりに揺れがすごいので、全員が境内の広場に集合したところ、壁や屋根が崩落し、瓦が落ち……地面が目の前で盛り上がった瞬間もあり、一時は「もうおしまいかも」と思いました。

私以外は熊本の方ではないのに、このような天災に巻き込んでしまったようで申し訳なく感じながらも、みなさんが明るくふるまってくださったのが救いでしたね。おかげで、小学生の娘もあまり大きなショックはなかったようです。

1度目の地震ではもちこたえた泰勝寺だが、2度目の地震後は、屋根や壁が傷ついたほか、水とガスが停止。細川さんはすぐに4月中のイベントキャンセルを決定し、まずはゲストの無事の帰宅に専念したという。

福岡からは陸路も空路もつながっていたので、とにかく熊本さえ出てもらえばという一心で。ただその頃にはもう、タクシーはもちろん、レンタカーもつかまらない。最後の手段で、ちょうど出張中で不在だった夫のステーションワゴンを「福岡で乗り捨ててもらえば、夫が追ってピックアップしますから」とお渡しし、荷物と人がぎゅうぎゅう詰め状態で、皆さんで福岡に向かっていただきました。幸い、熊本市北部から福岡へは高速が通じていて、当初思ったよりはスムーズに移動できたと後で伺い、本当にホッとしました。

残った私たちのほうは料理会用に大量に仕入れていた食材を仕分けし、持ち帰ることができるものは持ち帰ったり、日持ちするものは冷蔵庫に入れたりと整理して、割れた瓶や器などを片付けました。じつはリニューアルに際して選んだ建具が全て入ったのは14日の朝だったので、新品のガラスの扉や電灯も安全な場所に避難させて。余震がきても被害が少ないように対策を整えました。

地域に密着する、

“小さな炊き出し”

その後、細川さんは家族とともに数日間を鹿児島の知人宅で過ごした。スタッフの平山さんも熊本市から約40km離れた八代市の実家に一時避難した。イベントは中止したものの、空白の時間はそれほど長くは続かなかった。

いったんは泰勝寺を留守にしたものの、この場所を使って何かできるならという思いはありました。私自身は鹿児島にいた時期でしたが、八代から熊本市内に飲料水を運んできた平山やいつもイベントに参加してくださる友人たちが食材やガスコンロを持ち寄ってくれ、4月19日と20日、山門前の広場で豚汁とおにぎりを配る炊き出しが実現したんです。

まずは小さく、できる範囲でと考えて熊本大学など最寄りの避難所にお声をかけたところ、数十人の方が利用してくれたそうです。いらした方のなかにはイベントの常連さんも。見慣れた笑顔に会えたという喜びも大きかったかもしれません。他にフルーツポンチをお配りした日もあり、地域の方々の生活に、少しでもこの場所が生かされたのは嬉しいことでした。

私自身が熊本に戻ったあとは、友人2人と早くに水道とガスが復旧した友人宅で支援用の食事をつくり、お届けをしていました。紙コップでも飲めるようなさらりとした野菜のポタージュで、動物性たんぱくもとれるよう鶏のスープをベースに、1杯で栄養がたっぷりとれるように考えたもの。その他に炊き込みごはんや友人がつくってくれた手づくりのパンなどとあわせ、約60食分を毎日作り、地元の町内会会長さんにお届けして近隣のお宅に配っていただきました。

SNSでも「ご希望の方はご連絡ください」と告知はしていましたが、正直反響は多くはありませんでした。考えたら、避難所にいらっしゃるなら別ですが、自宅にいて知らない人から突然スープを受け取るのも躊躇してしまうかも……。直接手渡せる、顔の見えるつながりがこうした場合には必要だと感じましたね。

食材の生産者と

料理人をつなぐ存在に

一方で、細川さん個人の発信が県外への情報として大きな力を発揮した例もある。地震直後、短期間とはいえ売り先を失った農産物の販路開拓もその一つだ。

卵の購入を呼びかけた投稿

前々から個人的に野菜や卵を購入していた、里奏園さんの場合はSNSが役に立った例です。里奏園のある熊本市北部は比較的揺れの弱かったエリア。ご自身の被害はそれほど大きくなかったそうですが、お客さまが被災されて卵が出荷できなくなり、困っているというお話を聞きました。そこで「もしよければ、私の知人に声をかけてみましょうか」とご了承を得て、SNSで呼びかけてみたんです。すると、あっという間に注文が出荷予定量に達したとのことで、喜んでいただけました。

そんな折、たまたま「山のいぶき」というヨーグルトで知られる高村武志牧場さんでも同様のお話を耳にしたのです。高村さんの場合は、できれば業務用の卸売りを補填したいとのご希望でした。ですから、こちらもご相談のうえ、店舗を営む知人のなかで皆川明さん(ミナペルホネン)や野村友里さん(イートリップ)らにお声がけしたところ、こちらもすぐに取引がはじまりました。

泰勝寺での活動には、立ち上げ当初から「熊本の食とみなさんの架け橋でありたい」という思いがありましたので、非常時にこうした形でお役に立てたのは、これまでの活動があってこそとみなさんに感謝しています。

熊本の食の魅力を、

伝えるために

これらの私的な活動と並行し、泰勝寺本体では落ちた瓦屋根など建物の補修を進めた。地震後初の公式イベントとなったのは、5月21日に開催された「五月市」。6月には九州内のさまざまなお茶農家、静岡・沼津の紅茶店「teteria」の大西進さんを招いたお茶市や、鎌倉在住の料理家・冷水希三子さんによるチャリティの食堂など遠方からのゲストを迎えたイベントも実施し、境内に徐々ににぎわいが戻ってきた。地震の終息を待ちつつ、秋からは当初の計画通り、新生・泰勝寺として活動を広げていく意向だ。

五月市の様子

余震もまだ警戒が必要なので、イベント出展者も近隣の方が中心です。もちろん何人かの方々が関東から泰勝寺にいらして頂けたのは本当に嬉しいことですが、公けに終息が宣言されるまでは、こちらから気軽にお呼びすることもできず……。

こんなときにどのくらいの人数のお客さまがいらして、どのくらい売上げが上がるかも未知数です。でも今は経営的なことよりも、皆さんのお気持ちが少しでも明るくなったらいいなと思う気持ちのほうが強い。このまま余震が収まれば、本格的に再始動し、秋ごろからは地震前の計画通りにさまざまなイベントを開催していく予定です。

リニューアル直後、「さあ、これから」という時期に地震があったことは不運でもありましたが、逆に改装時に柱などを新しい木材に替え、耐震強度を考えていたことで地震の被害を最小限にできたようにも思います。むしろ今回の経験で再認識した、地方都市ならではの強さもあります。地域のみんなで食材を持ち寄ったり、一緒に料理をしたりしながら助け合えるコミュニティのよさ。農業が盛んな地域なので、物流が止まった時に、いきなり都市全体が飢えに直面するといったパニックはなく、自然の恵みによる備えがあるとも感じました。

こうした熊本の豊かな自然、さまざまな生産者さんの魅力を全国に伝えるために活動したいという気持ちは、地震前と変わりません。これからも、泰勝寺がみなさんと熊本の、そして生産者さんと食べる方々の架け橋であり続けられるよう、1回1回のイベントを大切にしていきたいと思います。

取材・文/坂根涼子

 

店舗情報

店舗

泰勝寺

熊本市中央区黒髪4-610

TEL: 096-223-7113

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