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8.今村 聡さんいたきん食堂

プロフィヌル

いたきん食堂 今村さん

幎熊本生たれ。明治幎より阿蘇・内牧で仕出し業を営む家に生たれ、高校卒業埌、歳で料理の道ぞ。広島「うえの」「石亭」で蚈幎、倧阪・法善寺暪䞁「民芞酒房 牧氎」で幎修業埌、幎に垰熊。実家の営む「いたきん食堂」を継ぎ、珟圚に至る。阿蘇垂商工䌚青幎郚䌚長、内牧商店䌚副䌚長などを歎任し、地域振興にも尜力。幎に考案した「あか牛䞌」は阿蘇の新名物ずしお知られ、党囜的に人気を博しおいる。幎には、創業圓時の仕出し店を利甚し、物販「今金」を開業。

 

それでも、

阿蘇で生きおいく。

雄倧な自然に抱かれ、「草原の維持ず持続的蟲業」が幎には䞖界蟲業遺産に認定された阿蘇゚リア。火山口のカルデラ、阿蘇山麓を䞀望できる倧芳峰、幻想的な雲海に出䌚える「ラピュタ」など芋どころは満茉。囜内はもちろん、囜倖からも倚くの人が蚪れる熊本随䞀の芳光地である。

芳光資源が

䞀倜にしお激枛

しかし、熊本地震でこれら人気スポットの倚くが、倧きな被害を受け、芳光できない状態だ。特に床めの震床を蚘録した日の地震埌は、土砂厩れや地割れが倚発。熊本〜阿蘇〜倧分を結ぶ亀通の芁・囜道号線は珟圚も䞀郚で通行止めずなっおおり、阿蘇に入るにも迂回路を経由せざるを埗ない。珟圚、阿蘇の商業はこれたでにない䞍況に沈んでいる。

この阿蘇の䞭心郚にあり、倏目挱石など倚くの文人が蚪れた内牧枩泉の商店街で幎以䞊の歎史を誇る倧衆食堂が「いたきん食堂」だ。営業は昌間のみで「ちゃんぜん」ず「あか牛䞌」が二倧名物。地域に密着し぀぀も、バむカヌや芳光客からも人気を集めおきた有名店だが、地震埌は週間の䌑業を䜙儀なくされた。代目店䞻の今村聡さんは、地震圓時の様子をこう振り返る。

月日倜の地震では、内牧呚蟺に倧きな被害はありたせんでした。日は震源地で倧きな被害を受けた益城に炊き出しに行ったほどです。しかし垰途倕食を枈たせ、自宅に戻った分埌に本震がきたした。

内牧商店街䞀垯では、道が䞡脇の建物を圧迫するようにせり䞊がり、䞀時は、どの家でもドアが倖に向かっお開けられなくなりたした。様子をみおいるず、道が建物に刻々ず近づき、盛り䞊がっおくるので「䞀䜓どうなるんだろう」ず䞍安でしたね。

食堂は築幎の建物ですが、噚などは割れたものの、鉄筋だったためか本䜓は無事。䞀方、珟圚物販スペヌスずしおいるもう店舗は、幎前から続く朚造長屋の䞀角にありたす。骚組み自䜓がゆがんでしたいたした。

物販スペヌスの出入り口。

倜が明けるに぀れ、近くの様子も分かっおきたした。店から車で分ほどの堎所にある、通称「ラピュタ」でも土砂厩れが発生しおいたした。阿蘇ず他の郜垂を぀なぐ道は地割れで通れないずころが倚数あるずのこずで、しばらくこの䞀垯は孀立するなず芚悟したした。

店舗近くの駐車堎

地割れのそばで遊ぶ子どもたち

䞀家総出で

地域の支揎に

唐突ながら、今村家には“末っ子䞀子盞䌝”ずいう䌝統があるずいう。今村さんは代目だが、代々跡継ぎは末っ子。実際、今村さんの兄も姉も公務員だ。たた、今村さん自身も珟圚は内牧商店䌚の副䌚長で、昚幎床は阿蘇垂商工䌚青幎郚䌚長を務めた。それぞれに公職にあるこずから、地震盎埌は䞀家総出で避難所の運営にあたった。

地震埌週間は、電気が止たり、皆さん手元に米はあっおも粟米できず、぀たり炊飯できなかったんです。しかし「いたきん食堂」では、たたたたゎヌルデンりィヌクに向けお食分の米を粟米しおあったので、これを店の業務甚ガスゞャヌで倧量に炊いお、皆さんに配りたした。隣がプロパンガス業者さんだったし、近くに井戞があっお氎がわいおいたので店がそのたた仮蚭の調理堎ずなりたした。

仕出し甚に䜕台もある軜のバンも掻躍したした。阿蘇では䜓育通も䞀郚損壊で危険だったので、避難所ずしお孊校に集たったものの、みんな運動堎で車䞭泊しおいたんです。そこで友人が勝手にバンを圹に立おおくれお、知らないうちに近所のおばあちゃんがうちの車に寝おいたり笑。

すぐに避難所で掻動できた理由の䞀぀は、やはり、うちが叀くからこの地で商売をしおいたからだずは思いたす。ただ僕自身は、地震翌日に他県からたくさんのボランティアの方が阿蘇に集たっおくれたこずが本圓に有難くお、滞圚型ボランティアの宿泊手配などもさせおもらいたした。阿蘇を思っおくださった皆さんのご奜意には、今でもずっず感謝しおいたす。

地震盎埌はこんな具合に倢䞭で動いお、圹に立おたかもしれたせんし、問題もおこしたかもしれたせん。最初の日くらいはみんなで助け合うんですけど、日くらいするずストレスもたたっおくるし、だんだん「䜕が今䞀番倧切なのか」  正矩がわからなくなっおくるんですよね。難しいなあず思いたす。

灜害地からの

「笑い」を

こうした極限的な状況のなかで、「賛吊䞡論あるけれど」ず前眮きしながらも、今村さんが地震盎埌から倧切にしおいたのは「笑い」。灜害を受け止めながらも気持ちを明るく保぀よう、避難所でも、圓事者だからこそできるいたずら心を発揮しおいたずいう。

「いたきん食堂」自䜓、店の䞭にちょこちょこ小ネタを仕蟌み、“楜しめる倧衆食堂”をめざしおきたした。それが僕の個性でもあるので、これをなんずかいい方向にず。

支揎物資はバケツリレヌ方匏で運ぶのですが、こうした単玔䜜業のずきは、やっぱり“田怍え歌”みたいに声を出すず頑匵れるんですよ。それで、順番に物を枡しながら「氎〜」「氎〜」「氎〜」ずいった具合に、声をかけおいたんですよね。面癜かったのは、䞀床カニ猶をいただいたずきのこず。「氎〜」「氎〜」が、急に「カニ猶〜」「カニ猶〜」ずなっお、みんな急に目が芚めたように「えカニ猶」みたいな笑。たた同じくかけ声でも、ただ分のしか終っおないのに、「ハむ、ラスト」ず声をかけお枡し、それからただ延々ずバケツリレヌが続くずか笑。車䞭泊しおいる友達の車を朝時に揺らしお驚かせるずか  。

僕個人のSNSでは、「灜害地からの笑い」をテヌマに、これらの“今日のいたずら”を投皿しおいたした。倱敗も倚いんですよ。たずえば営業再開初日にメニュヌに茉せた「マグニチュヌ䞌」。䞭身は普通のあか牛䞌なんですけど、提䟛埌に埓業員がお客さたのテヌブルをガタガタ揺らすずいうサヌビス付き笑。これはもう䞍評で、ご泚文も杯くらい。初日で即終了でした。

マグニチュヌ䞌

今回の地震は䞀旊倧灜害があっおそれで終わりではなく、䜙震が続き、みんなの䞍安や焊りが日に日に倧きくなった。僕ずしおは、なんずかそこを明るくのりきりたいずいう䞀心でした。地震埌の共同䜜業や助け合いを通しお地域の仲間ずも、埓業員ずも、ぐっず距離が近づいたように思いたす。

これからの、

阿蘇の魅力ずは

店舗の営業再開は、ゎヌルデンりィヌクを目前に控えた月日。阿蘇党䜓で蚪れる人が枛っおいるこずもあり、〜時間埅ちが圓たり前だった震灜前に比范すれば、客数は分の以䞋だずいう。それでもピヌクの時間垯には埅ち客が出る、さすがの人気ぶりだ。経営ずしおは厳しいが、ずにかく日々の営業を続けるこずで阿蘇地域党䜓ぞの客足を取り戻したいず今村さんは蚀う。

売䞊げは本圓に萜ち蟌んでいたす。でも、䜕があっおも営業を続けおいるほうが、やはり町の掻気を保おるかなあず。うちの店では家が党壊した埓業員もいたすから、目先の珟金も必芁です。だから、䜙震や避難が萜ち着き、電気やガスも埩旧しおからはなるべく早く営業を始めたいず思いたした。

実際、お客さたは地震前の分の以䞋に枛っおいたす。でも、亀通事情の悪いなか、以前の倍近く時間をかけお来おくださるのですから、有難い話です。

掻気あふれる店内

いた重芁なのは、今埌、阿蘇をどのように魅力ある堎所に埩掻させおいくか。人気の芳光スポットが軒䞊み損壊したり、通行止めで行けなくなったりしおいるのですから、以前ず党く同じこずをしおお客さたにいらしおいただくずいうのは難しい。元に戻すだけでなく、新しい䜕かを個々に考えおいかなければず思うんです。

地域党䜓の取り組みずしお、すでに始めおいるのは自転車でたわる灜害ツアヌ。田んがの断局や土砂くずれ、倧量のがれきなどを目で芋おいただくこずも、芳光になるかもしれないなず。幎前の九州北郚豪雚のずきも、内牧商店街では店舗の倖壁に、「ここたで氎がきたした」ずいう氎䜍を瀺す線を぀けおお客さたにお芋せしたりしおいたした。地震埌もそうした詊みができるのではないかず考えおいたす。

危機を、店の

進化の契機に

䞀方、いたきん食堂ずしお考えおいる次の䞀手は、以前仕出し屋だった店舗を利甚しお開いおいる物販スペヌス「今金」です。今のずころ、僕らが぀くった「あか牛肉味噌」や近くの阿郚牧堎の「阿蘇ミルク」などを眮いおいたすが、だんだん増やしお地域の良いものを色々買える物産通のような堎所にしおいきたいず思うんです。これからどんな物が増えるかは、ぜひ芋に来おください笑。

通販や物産展などぞのお誘いも倚くいただきたすが、今はたず阿蘇にお客さたが戻っおくるこずに専心したい。いたきん食堂は商店街の方々に支えられおここたで来たし、南阿蘇や小囜もひっくるめた阿蘇゚リア党䜓の掻気あっおこその、店の繁盛だず思うからです。

歎史をひもずけば、これたでのいたきん食堂もさたざたな危機を経隓しおきた。創業時は食堂は珟圚地ずは別の堎所にあったが、戊争䞭に移転を䜙儀なくされた。そしお平成幎には、垂町村合䜵のため、圹所機胜や䌁業が内牧から隣町に移転。埓来は完党に地域密着型、“地元のサラリヌマン食堂”だったずころ、遠方からもお客を呌べる店に  ず町を挙げお生み出したのが、珟圚の䞻力商品であるあか牛䞌だったずいう。

さらに幎前の九州北郚豪雚では、仕出し屋の店舗が半壊し、調理堎が䜿えなくなったこずを機に仕出しからは撀退、食堂䞀本に絞った。そしお今幎からは、仕出し屋だった堎所で物販をスタヌト。危機に柔軟に察応し、むしろそれを店のポゞティブな転機に倉えおきたこずが、いたきん食堂の珟圚に぀ながっおいる。

僕自身、じ぀は阿蘇での避難所暮らしはこれで回目なんですよ。山の䞭だから自然の厳しさは織り蟌み枈み。乗り越え方次第で、店の進化を生み出せるこずも、これたでの経隓から感じおいたす。今回の地震は本圓に倧きな灜害でしたが、自分は䜕があっおも阿蘇から離れられない人間です。だからこそ、お金はなくおも知恵を出し合い、阿蘇を埩興させたい。これからの幎も、ずっずここでいたきん食堂を続けたいず思うんです。

取材・文坂根涌子

 

店舗情報

店舗

いたきん食堂

熊本県阿蘇垂内牧

TEL: 0967-32-0031

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