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8.今村 聡さん(いまきん食堂)

  • shibatashoten
  • 2016年7月23日
  • 読了時間: 9分

プロフィール

いまきん食堂 今村さん

1975年熊本生まれ。明治30年より阿蘇・内牧で仕出し業を営む家に生まれ、高校卒業後、18歳で料理の道へ。広島「うえの」「石亭」で計4年、大阪・法善寺横丁「民芸酒房 牧水」で2年修業後、99年に帰熊。実家の営む「いまきん食堂」を継ぎ、現在に至る。阿蘇市商工会青年部会長、内牧商店会副会長などを歴任し、地域振興にも尽力。2005年に考案した「あか牛丼」は阿蘇の新名物として知られ、全国的に人気を博している。16年には、創業当時の仕出し店を利用し、物販「今金」を開業。

 

それでも、

阿蘇で生きていく。

雄大な自然に抱かれ、「草原の維持と持続的農業」が2013年には世界農業遺産に認定された阿蘇エリア。火山口のカルデラ、阿蘇山麓を一望できる大観峰、幻想的な雲海に出会える「ラピュタ」など見どころは満載。国内はもちろん、国外からも多くの人が訪れる熊本随一の観光地である。

観光資源が

一夜にして激減

しかし、熊本地震でこれら人気スポットの多くが、大きな被害を受け、観光できない状態だ。特に2度めの震度7を記録した16日の地震後は、土砂崩れや地割れが多発。熊本〜阿蘇〜大分を結ぶ交通の要・国道57号線は現在も一部で通行止めとなっており、阿蘇に入るにも迂回路を経由せざるを得ない。現在、阿蘇の商業はこれまでにない不況に沈んでいる。

この阿蘇の中心部にあり、夏目漱石など多くの文人が訪れた内牧温泉の商店街で100年以上の歴史を誇る大衆食堂が「いまきん食堂」だ。営業は昼間のみで「ちゃんぽん」と「あか牛丼」が二大名物。地域に密着しつつも、バイカーや観光客からも人気を集めてきた有名店だが、地震後は2週間の休業を余儀なくされた。4代目店主の今村聡さんは、地震当時の様子をこう振り返る。

4月14日夜の地震では、内牧周辺に大きな被害はありませんでした。15日は震源地で大きな被害を受けた益城に炊き出しに行ったほどです。しかし帰途夕食を済ませ、自宅に戻った30分後に本震がきました。

内牧商店街一帯では、道が両脇の建物を圧迫するようにせり上がり、一時は、どの家でもドアが外に向かって開けられなくなりました。様子をみていると、道が建物に刻々と近づき、盛り上がってくるので「一体どうなるんだろう」と不安でしたね。

食堂は築41年の建物ですが、器などは割れたものの、鉄筋だったためか本体は無事。一方、現在物販スペースとしているもう1店舗は、100年前から続く木造長屋の一角にあります。骨組み自体がゆがんでしまいました。

物販スペースの出入り口。

夜が明けるにつれ、近くの様子も分かってきました。店から車で5分ほどの場所にある、通称「ラピュタ」でも土砂崩れが発生していました。阿蘇と他の都市をつなぐ道は地割れで通れないところが多数あるとのことで、しばらくこの一帯は孤立するなと覚悟しました。

店舗近くの駐車場

地割れのそばで遊ぶ子どもたち

一家総出で

地域の支援に

唐突ながら、今村家には“末っ子一子相伝”という伝統があるという。今村さんは4代目だが、代々跡継ぎは末っ子。実際、今村さんの兄も姉も公務員だ。また、今村さん自身も現在は内牧商店会の副会長で、昨年度は阿蘇市商工会青年部会長を務めた。それぞれに公職にあることから、地震直後は一家総出で避難所の運営にあたった。

地震後1週間は、電気が止まり、皆さん手元に米はあっても精米できず、つまり炊飯できなかったんです。しかし「いまきん食堂」では、たまたまゴールデンウィークに向けて2000食分の米を精米してあったので、これを店の業務用ガスジャーで大量に炊いて、皆さんに配りました。隣がプロパンガス業者さんだったし、近くに井戸があって水がわいていたので店がそのまま仮設の調理場となりました。

仕出し用に何台もある軽のバンも活躍しました。阿蘇では体育館も一部損壊で危険だったので、避難所として学校に集まったものの、みんな運動場で車中泊していたんです。そこで友人が勝手にバンを役に立ててくれて、知らないうちに近所のおばあちゃんがうちの車に寝ていたり(笑)。

すぐに避難所で活動できた理由の一つは、やはり、うちが古くからこの地で商売をしていたからだとは思います。ただ僕自身は、地震翌日に他県からたくさんのボランティアの方が阿蘇に集まってくれたことが本当に有難くて、滞在型ボランティアの宿泊手配などもさせてもらいました。阿蘇を思ってくださった皆さんのご好意には、今でもずっと感謝しています。

地震直後はこんな具合に夢中で動いて、役に立てたかもしれませんし、問題もおこしたかもしれません。最初の3日くらいはみんなで助け合うんですけど、10日くらいするとストレスもたまってくるし、だんだん「何が今一番大切なのか」……正義がわからなくなってくるんですよね。難しいなあと思います。

災害地からの

「笑い」を

こうした極限的な状況のなかで、「賛否両論あるけれど」と前置きしながらも、今村さんが地震直後から大切にしていたのは「笑い」。災害を受け止めながらも気持ちを明るく保つよう、避難所でも、当事者だからこそできるいたずら心を発揮していたという。

「いまきん食堂」自体、店の中にちょこちょこ小ネタを仕込み、“楽しめる大衆食堂”をめざしてきました。それが僕の個性でもあるので、これをなんとかいい方向にと。

支援物資はバケツリレー方式で運ぶのですが、こうした単純作業のときは、やっぱり“田植え歌”みたいに声を出すと頑張れるんですよ。それで、順番に物を渡しながら「水〜」「水〜」「水〜」といった具合に、声をかけていたんですよね。面白かったのは、一度カニ缶をいただいたときのこと。「水〜」「水〜」が、急に「カニ缶〜」「カニ缶〜」となって、みんな急に目が覚めたように「え?!カニ缶?!」みたいな(笑)。また同じくかけ声でも、まだ3分の1しか終ってないのに、「ハイ、ラスト」と声をかけて渡し、それからまだ延々とバケツリレーが続くとか(笑)。車中泊している友達の車を朝5時に揺らして驚かせるとか……。

僕個人のSNSでは、「災害地からの笑い」をテーマに、これらの“今日のいたずら”を投稿していました。失敗も多いんですよ。たとえば営業再開初日にメニューに載せた「マグニチュー丼」。中身は普通のあか牛丼なんですけど、提供後に従業員がお客さまのテーブルをガタガタ揺らすというサービス付き(笑)。これはもう不評で、ご注文も10杯くらい。初日で即終了でした。

マグニチュー丼

今回の地震は一旦大災害があってそれで終わりではなく、余震が続き、みんなの不安や焦りが日に日に大きくなった。僕としては、なんとかそこを明るくのりきりたいという一心でした。地震後の共同作業や助け合いを通して地域の仲間とも、従業員とも、ぐっと距離が近づいたように思います。

これからの、

阿蘇の魅力とは

店舗の営業再開は、ゴールデンウィークを目前に控えた4月28日。阿蘇全体で訪れる人が減っていることもあり、2〜3時間待ちが当たり前だった震災前に比較すれば、客数は3分の1以下だという。それでもピークの時間帯には待ち客が出る、さすがの人気ぶりだ。経営としては厳しいが、とにかく日々の営業を続けることで阿蘇地域全体への客足を取り戻したいと今村さんは言う。

売上げは本当に落ち込んでいます。でも、何があっても営業を続けているほうが、やはり町の活気を保てるかなあと。うちの店では家が全壊した従業員もいますから、目先の現金も必要です。だから、余震や避難が落ち着き、電気やガスも復旧してからはなるべく早く営業を始めたいと思いました。

実際、お客さまは地震前の3分の1以下に減っています。でも、交通事情の悪いなか、以前の倍近く時間をかけて来てくださるのですから、有難い話です。

活気あふれる店内

いま重要なのは、今後、阿蘇をどのように魅力ある場所に復活させていくか。人気の観光スポットが軒並み損壊したり、通行止めで行けなくなったりしているのですから、以前と全く同じことをしてお客さまにいらしていただくというのは難しい。元に戻すだけでなく、新しい何かを個々に考えていかなければと思うんです。

地域全体の取り組みとして、すでに始めているのは自転車でまわる災害ツアー。田んぼの断層や土砂くずれ、大量のがれきなどを目で見ていただくことも、観光になるかもしれないなと。4年前の九州北部豪雨のときも、内牧商店街では店舗の外壁に、「ここまで水がきました」という水位を示す線をつけてお客さまにお見せしたりしていました。地震後もそうした試みができるのではないかと考えています。

危機を、店の

進化の契機に

一方、いまきん食堂として考えている次の一手は、以前仕出し屋だった店舗を利用して開いている物販スペース「今金」です。今のところ、僕らがつくった「あか牛肉味噌」や近くの阿部牧場の「阿蘇ミルク」などを置いていますが、だんだん増やして地域の良いものを色々買える物産館のような場所にしていきたいと思うんです。これからどんな物が増えるかは、ぜひ見に来てください(笑)。

通販や物産展などへのお誘いも多くいただきますが、今はまず阿蘇にお客さまが戻ってくることに専心したい。いまきん食堂は商店街の方々に支えられてここまで来たし、南阿蘇や小国もひっくるめた阿蘇エリア全体の活気あってこその、店の繁盛だと思うからです。

歴史をひもとけば、これまでのいまきん食堂もさまざまな危機を経験してきた。創業時は食堂は現在地とは別の場所にあったが、戦争中に移転を余儀なくされた。そして平成17年には、市町村合併のため、役所機能や企業が内牧から隣町に移転。従来は完全に地域密着型、“地元のサラリーマン食堂”だったところ、遠方からもお客を呼べる店に……と町を挙げて生み出したのが、現在の主力商品であるあか牛丼だったという。

さらに4年前の九州北部豪雨では、仕出し屋の店舗が半壊し、調理場が使えなくなったことを機に仕出しからは撤退、食堂一本に絞った。そして今年からは、仕出し屋だった場所で物販をスタート。危機に柔軟に対応し、むしろそれを店のポジティブな転機に変えてきたことが、いまきん食堂の現在につながっている。

僕自身、じつは阿蘇での避難所暮らしはこれで3回目なんですよ。山の中だから自然の厳しさは織り込み済み。乗り越え方次第で、店の進化を生み出せることも、これまでの経験から感じています。今回の地震は本当に大きな災害でしたが、自分は何があっても阿蘇から離れられない人間です。だからこそ、お金はなくても知恵を出し合い、阿蘇を復興させたい。これからの100年も、ずっとここでいまきん食堂を続けたいと思うんです。

取材・文/坂根涼子

 

店舗情報

店舗

いまきん食堂

熊本県阿蘇市内牧201

TEL: 0967-32-0031

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