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2.古賀択郎さん(左・ワインショップ クルト) 笹原圭悟さん(中央・瑠璃庵/コルリ) 他谷憲司さん(右・料理人)

プロフィール

3名の笑顔

古賀さんと他谷さんは1979年、笹原さんは1980年生まれの同世代。熊本出身の古賀さんは広告代理店勤務を経て、2009年に東京・幡ヶ谷でワインバー「キナッセ」を独立開業(16年3月閉店)。東京出身の笹原さんは飲食業界で経験を積んだのち09年熊本に移住し、同年父と「瑠璃庵」を開業。15年、瑠璃庵の階下にバル「コルリ」を開業。他谷さんは、イタリア修業などを経て大阪・長堀橋の「ビストロ・ア・ヴァン ダイガク」に05年の開業当初から勤務し、11年よりオーナーシェフ(15年12月閉店)。古賀さん他谷さん共に16年春に熊本に移住。

 

店で、ワインで、

僕らができること。

「僕らは、ワインでつながった仲間」と3人は言う。東京でワインバーを営んでいた古賀択郎さん。大阪のビストロのオーナーシェフだった他谷憲司さん。そして2009年から、熊本市中心の繁華街に近く、個性的な店が立ち並ぶ上乃裏通りで居酒屋とバルを営む笹原圭悟さん。3人とも、それぞれの街でヴァン・ナチュール(自然派ワイン)の魅力を伝えてきた。

避難を機に

強く結束

3年間毎月1度開催してきた「満月ワインバー熊本」。

古賀さんと笹原さんは2013年2月から、毎月1回満月の夜に「満月ワインバー熊本」を共催してきた。そこに他谷さんがゲスト出演することもあり、徐々にお互いに親交を深めるなかで、たまたま同時期に古賀さんと他谷さんが熊本に移住を決意。熊本地震が起こったのは、ちょうど2人が熊本に引っ越して間もない時だった。

2人ともまだ店を持っていなかったことから、地震直後は笹原さんの店を3人共通の場として活動。抜群のチームワークで震災後の街に働きかけていった。

古賀 14日も16日も、地震のあとはすぐに避難所に移動しました。じつは他谷さんとは自宅がそばで、最寄りの避難所も同じだったんです。16日未明の地震の後も、それぞれに家族で近くの小学校に避難していましたが、その日の夜がちょうど大雨の予報だったんですよ。

他谷 うちの家族は体育館にいて、古賀さんたちは自衛隊のテントで。

古賀 自分一人ならどうにでもなるけど、子供もいるし雨が降ったらどうしようかなあと、困っていました。

笹原 僕は実家が特に被害がなかったので、まずは自宅から実家に移ろうとしていました。引っ越してきたばかりの古賀さんと他谷さんが心配で電話したら、同じ避難所にいるよと。それで、一緒に行きませんかと声をかけたんです。

古賀 16日の昼には車で迎えに来てもらい、夜には笹原さんのご実家に2家族で泊まらせていただいて。

笹原 実家は熊本市内ですが建物も無事だったし、敷地内に田んぼも畑もあるので食料もとれる。水道は地下水を直接くみ上げる“井戸”方式だし、ガスはプロパンだったので、ライフラインもすべて無事だったんです。だから、みんなで一緒にいたら心強いだろうと思って。しかしあの1日は長かったなあ。

他谷 笹原さんのご実家から家族はそれぞれの親戚のところに移動して、僕らは18日の夜から単身で熊本に戻りました。それで3人でこれからどうしようかと話し合ったんです。

全国の支援の

思いを形に

笹原さんの営む2店は、6店のテナントが入居する築130年の長屋の1階と2階にある。建物には幸い大きな被害はなかった。店内では器やグラスは7〜8割がた割れてしまったものの片付けはすぐに終了。だが物流がストップしている状態では仕入れもままならず、水やガスも止まっており、この時点で営業再開は考えられなかったという。

器やグラスの7〜8割が割れた

とはいえ、店は無事で使うことができる。食材のストックも無駄にしたくない。さらに全国に知人のいる3人それぞれに支援の申し出が多数あったことから、「いま自分たちのできることを」という思いが一つになるのに時間はかからなかった。そして、「物資の受け入れ窓口を店にする」「店を拠点に炊き出しをする」という方針を3人一致で決め、SNSで呼びかけた。

古賀 どっちみち、他谷さんと僕は店もまだありませんし、他に何もできないという思いもありました。

笹原 僕も東京生まれですし、特に2人はまだ来たばかり。3人とも、もといた場所の人たちがすごく心配してくれて。ただ、みんな「何かしたいけど何をしたらいいのか」という状態でした。東日本大震災のときは、僕らのほうがそう思っていた。そこで3人で考えて、自分たちに何かできるとすれば、その方々の思いを形にすることだろうと。もっと被害の大きい場所があるのは分かっていましたが、僕らだけで何千人もの人を助けることはできない。大混乱のなか勝手に動いて炊き出しに行っても、さらなる混乱を呼ぶこともあるかもしれない。幸いお店の建物が無事だったので、それをベースに近くの人に喜んでほしいという気持ちがスタートでした。

他谷 困ったときはお互いさま。それに僕ら3人とも飲食業の人間だから、できるとすれば食べものだろうということで。東北大震災のときにも、いろんなレストランが炊き出しをしていたことを知っていましたからね。

店が、地域のニーズを

くむ拠点に

店頭においた水は一晩でほとんどなくなった。

古賀 確か、笹原さんのご実家でくんだ水を店頭で配ったのが最初だったんですよね。

笹原 当時、店の周りではまだ水道が通っていないお宅も多かったんです。そこで実家に大量にあったビニールパックに水を詰めて運び、店の前に置いてみたんですよ。最初は、ほんとに探り探り。僕らは安心して飲める水だって知っていても、ただ袋に入れただけの水を持って行ってくれるかなあと不安もありました。でも結果的には山積みにした水がほぼほぼ無くなって、やっぱり何かできそうだと。炊き出しを店ですれば、何が必要で何が足りないのか、周りの人たちから聞く場にもなると思いました。

水を配ったのが、地震の翌々日にあたる18日。そこで全国からの支援物資を生かした無料ランチの配布を決めた。ちょうど、古賀さんと他谷さんが熊本に引っ越してから初の「満月ワインバー熊本」を開催するはずだった4月22日が炊き出しの初日となった。

古賀 満月ワインバー自体は残念ながらキャンセルになりましたが、やらないのも寂しいし、かといって僕自身もまだ全然ワインを飲む雰囲気じゃなかった。なので、昼間だけど集まりませんかと。初日のメニューがちょうどカレーだったので、「話」にインドの「印」を組み合わせて、「満月話印場」と銘打ち、カレーを飲みながら話しましょうと(笑)。そこに意外に人が来てくれたんですよ。もともと、満月ワインバー熊本も丸3年経っていたので、常連さんはみんな顔見知り。なので、この日も再会を喜び合う姿もあり、コミュニティとして機能できた気がして、「やってよかった」と思いました。

「満月話印場」に向けてカレーを用意
集まった人たちの笑顔

他谷 全国の賛同してくれた仲間と支援物資があったからできたことですけれど、実際に喜んでもらえたのが本当によかったですよね。

笹原 話印場の後もイートインとテイクアウト両方で幕の内弁当とかイタリア料理とか、いろいろなメニューの炊き出しを続けて、毎日最低100食、多いときで200食以上出ました。小規模避難所に20食とかまとめて持って行ってくださった方も。ただ店頭で配っていた水は18日から20日の3日間だけでも目に見えて減らなくなり、残ったパックの数から周囲のライフラインが回復してきたのがわかりました。

飲食をこえた

店の存在意義

比較的、被害が小さかった街中での炊き出しならではの迷いもあった。「無料じゃ悪いから」と、かえって遠慮されてしまうケースも多かったという。結局、無料で炊き出しをしたのは1週間ほど。4月27日のガス開通をきっかけに、29日からは炊き出しを1階の「コルリ」のみ300円ランチという形で有料化し、2階の「瑠璃庵」では時間を短縮して夜の営業を再開させた。

他谷 ライフラインが戻り、近所のお店もワンコインランチなどを始めたんですよね。休業していても家賃や人件費は普通にかかるわけだから、何もしないよりは絶対いい。なのに、こっちは無料でランチ食べられますっていうのも、営業妨害になっちゃうねとみんなで話して。それに僕らは全国から託された材料が元手だし、原価はかかっていないからと説明しても、お金を置いて行く方も結構いて。直後の数日間は、「炊き出し」という形が必要とされていたのは確かだけれども、刻々とニーズは変わっていくんだなと思いました。

古賀 あの「無料を遠慮する心理」というのは、やってみて初めて気づいた点。たぶん家で料理や洗い物はまだ難しいから、外で食べたら助かるんだとは思うんですよ。ただそれが無料となると「もっと大変な場所があるのに悪い」という感じで、かえって無料のせいで使ってもらえないという。瑠璃庵の周りに限っていえば、皆さん自宅で寝泊まりできていたし、宅配便やコンビニが復旧したのも驚くほど早かった。そうなれば必要なのは、もう炊き出しではなくなる。復旧のスピードも含め、そこは僕ら予測がつかなかった部分ですね。

笹原 結局、地震直後の混乱がいったん落ち着いたら、誰かと会って話すことが必要だったのかもしれません。「落ち着いた、音楽のある空間で食事をするのは久しぶり」という声もいただきました。まだ日常生活は遠いけど、ひとときホッとできる場になった。皆さんが喜んでくれた実感があります。

古賀 だから店を拠点にしたのは、僕らとしては正しい判断だったのかなと思う。

笹原 そうですね。食べる、飲むをこえた飲食店の存在意義を改めて考えるきっかけになりました。

協力して仕込みやサービスにあたった。

SNSの発信力、

その力と怖さと

3人とも全国に知人が多いことから、これらの活動は逐次SNS上でも告知。その発信力が物資面、精神面、両方の支援に結びついた。SNSのパワーを改めて実感する一方、地震直後という特別な状況下で情報を扱うことの難しさもあったという。

笹原 地域や産業によってそれぞれの被害があったと思うんですよね。たとえば、僕がいつもお世話になっている方々も生産ラインには直接の被害がなかったのですが、いつもの出荷先が被災して売り先がなくなり、在庫が余ってしまったと聞きました。

他谷 地震がきても、牛は乳を出すし、鶏は卵を生むし、野菜や果物は育っていく。自然のサイクルは変えられませんから。

笹原 それを一時的にでも県外で買ってくれたら解消するだろうと通販サイトの紹介をしたらたくさんシェアしてもらい、相当な数の注文があったらしいです。投稿前にきちんと相談していたのと、もともと力のある生産者さんなのでトラブルもなく、うまくさばいていただけていい結果になりましたが。

古賀 SNSは、とにかく情報の伝達が早い。うまく使うと便利ですが、逆に混乱を招く怖さもあって。フェイスブックの公開設定で「これが足りません」と投稿すると、あっという間に物資が届いて1日で解決してしまうことも多いんです。でもそれが、数日経ってからシェアされて「あれ?」となったり、場合によってはクレームにつながったり。だから僕は、あえて知らせる範囲を友達限定にすることも多々あります。

笹原 瞬間的な情報なのか、長持ちさせたい情報なのかによって使い分ける必要があるんですよね。

連休明けの5月8日には、震災特別バージョンの300円ランチも完全に終了。瑠璃庵とともに「コルリ」でも夜の営業をはじめ、地震の前と同様の営業形態に戻した。そして5月23日夜には、“復興に向けて”と、地震後初の「満月ワインバー熊本」を開催した。

古賀 5月の満月ワインバーは、びっくりするくらい大盛況でみんな楽しく飲んでくれて。地震後の1ヵ月間は、気分的にも知り合いと盛り上がって飲んだりはできなかったと思います。そのタガがはずれたというか(笑)。僕自身、ずっと飲むような気分にはなれなかったし、周りでもワインが必要とされている気がしなくてずっとモヤモヤしていたんですよね。だけどこの夜、地震後初めて、やっぱりお酒っていいな、酒場っていいなと心から思えた。そういう意味で、集まってくれたお客さまにも感謝です。

新たな1歩は

これからだ

街が非日常から日常へと少しずつ戻りはじめた今、3人の生活も時折交わりながら、それぞれの道へと進みはじめている。地震でいったん中断した古賀さんと他谷さんの新店準備も、改めてスタートをきった。

他谷 今は鋭意物件探し中です。もともと熊本はヨメの地元で、何度か帰省しているうちに街が好きになって。刺激的な仲間がいるし、ここで店をするのは面白そうだと。もともとオンオフの区切りはあまりないタイプなので、“仕事”というより“なりわい”としての「ワイン食堂」がしたいと思っていたんです。その気持ちは変わりません。ただ、街中は家賃も高いですね。この状況でも下がらないもんかなと。

古賀 それ、このインタビューと関係ないんじゃ(笑)。

他谷 すみません、愚痴りました(笑)。

一同 (笑)。

古賀 僕も酒屋としては、店舗探しが最優先ですね。地震でエリアとか物件のイメージも白紙に戻ってしまいましたが、6月から7月にかけてぼつぼつ空き物件が出るという話もあるので、いい場所を探して。「ワインで、僕らができること」。それを、いつも考えています。

ワインショップクルト初のオリジナルワイン。

笹原 僕は店を、とにかく長く続けたいです。この建物は130年以上経っているのに生き残ったことを考えたら、借りている身ですけど大事に使う責任があると思う。微々たることですが、1軒1軒が元気でいることが、熊本全体の活性化にもつながると。もともと瑠璃庵は、つくり手さんの顔が見えるもの、ワインも含めた日本のお酒と食材だけを扱うというコンセプトの店ですが、最初は「なんで日本のワインしかないの?」と毎晩言われ(笑)。でも、「僕はおいしいと思うから置いてます」と伝え続け、応えてくれる人が少しでもいたからここまできた。7年経ったいま、お客さまの価値観もだいぶ変わってきたなあと感じるんです。古賀さん、他谷さんが今からされることも、必ず街の何かを変えることになる。熊本は、これからもっと面白くなります。

取材・文/坂根涼子

 

店舗情報

瑠璃庵/コルリ店舗

瑠璃庵/コルリ

熊本市中央区南坪井町5-21

TEL: 096-352-8174(瑠璃庵)

TEL: 070-5271-3496(コルリ)

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