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3.中原貴志さん(鮨 仙八)

プロフィール

鮨 仙八 中原さん

1982年熊本生まれ。4代続けてすし職人の家に育ち、自身も高校卒業後に福岡・東京で10年すし店を中心に修業。2012年、熊本随一の繁華街・下通エリアに「鮨 仙八」を独立開業。九州の地魚だけで握るすしとオリジナルのつまみで地元はもちろん、県外からもお客を集める。

 

地震の翌日も、

卸売り市場に行った。

「正直なところ、店ではグラス一つ割れなかったんです」と「鮨 仙八」の主人、中原貴志さんは地震直後を振り返る。

店は奇跡的に

被害なし

福岡・東京での修業後、中原さんが「仙八」を開業したのは、多くの通行人でにぎわう中心街の下通から1本はずれた銀杏中通り沿いの花畑ビル地階。このビルには、焼酎バーやおでん屋、馬肉の焼き肉店など地元客も観光客にも知られた人気店が多数入居する。食べもの好きが集まる場所で、「来たいお客さまだけに、見つけていただけたらいい」と決めた「地下」という立地条件が、店の被害を最小限にとどめた。

14日、第1回目の地震がきたときは店はまだお客さまでいっぱいでした。僕は東京の修業先で東日本大震災も経験していたので、そのときの親方の対応が頭に浮かび、自分も気づいたらそのようにしていました。​

まずガスを止め、お客さまには荷物をもって地上に上がっていただき、安全を確保したうえで、スタッフと一緒にいていただきました。僕は一人で地下の店に戻り、ひとまず冷蔵庫や戸棚の開き戸をガムテープで止めてから、また店の外に出てお客さまにご挨拶し、解散。今思うと、このとき扉を止めておいたので、2度目の地震のときも物が外に飛び出さずに済んだのかなと思っています。

地震対策の扉

2度目の地震のときには自宅にいたんですが、なにしろ揺れが長かったのでこれはさすがに店の吊り天井が落ちたかなと思いました。天井が落ちたら、カウンターも傷ついてしまうし、参ったなと。でも、16日の朝おそるおそる店をのぞきに来てみたら、これがなんともなかった。それだけ確認して、またそーっと扉を閉めて(笑)。地下だったから、揺れが小さかったのも要因だったと思います。

昨年祖母から受け継いだ古い一軒家に住んでいたこともあり、自宅は家具も散乱して大変な状態になっていました。その日からじつは2週間車中泊したんですよ。でも僕自身は単身で身軽なので、家のことは後回しだと。16日も予約を頂いていましたから、とにかくいつもの通りに朝一番に田崎市場に行ったんです。

地震翌日、

空白の市場へ

田崎市場は、熊本市中心街から車で15分ほどの場所にある県内最大の卸売り市場。県西部の天草地方から届く魚介を毎朝競りにかける、東京で言えば築地市場のような存在だ。

すし職人として、「素材を自分の目で確かめて仕入れる」ことは当たり前という中原さんの1日は、いつも朝6時半に田崎市場で魚を選ぶことからはじまる。しかし、地震によって市場機能は何日もストップ。中原さんにとっては、交通網と市場機能の停止が地震に伴う最大の被害となった

仙八では、天草を中心とした地の魚を、江戸前の仕事で食べていただくというのがコンセプトです。じつは開業当初2〜3年は、修業先と全く同じことをしようとしていました。東京からも福岡からもいろいろな魚を仕入れ、おまかせコースの握り12貫のうち3貫は、赤身、中トロ、大トロとマグロを欠かさず、つまみは選び抜いた素材をシンプルな刺身で出して……。でもそれでは、全くお客さまに響かなかった。

県外のお客さまにしたら、わざわざ熊本で東京と同じ寿司を食べたいとは思わないだろうし、逆に地元では新鮮な魚介が身近にありすぎて、シンプルな刺身そのままでは、価値を感じていただけない。そこで徐々に仕入れを地の魚オンリーに絞り、手のこんだつまみを出すようにしたら、よい反応をいただいて。だから僕にとっては、毎朝田崎市場に行って、熊本・天草をはじめとした九州のいい魚介を仕入れるということが店の生命線なんです。

でも16日の朝は、市場に行ったら誰もいない。関係者もいないし、魚もありませんでした。水揚げ地である天草では大きな被害はなかったのですが、地震直後は道が悪そうだということと、買い手がそもそもいないということで物流が止まっていたんですね。

僕自身は、店も自分も無事だったし、とにかく店を開けたかった。もともと、当日仕入れた魚をそのまま握るというスタイルではなく、仕込みを済ませた材料がたくさん冷蔵庫にありましたから、市場が止まっていても営業は可能でした。でも16日は土曜だったので県外のお客さまからのご予約も多く、熊本に入る交通手段がなかったので、結局ご予約はすべてキャンセルに。そのまま店は24日まで休業し、仕込んだ材料は、残念ながら実家のまかないとなりました。

市場の活気を

守りたい

現在は卸売り市場は再開したものの、近隣には通行止めが続く橋もある。中原さんも自宅から迂回を余儀なくされ、いつも以上に時間がかかっているという。しかし、市場通いは日課として変わらずに続ける中原さん。熊本のすしをレベルアップさせるためにも、市場の活性化は不可欠だと考えている。

僕らすし屋が、お客さまに出す魚選びを他人任せにしていいわけがない。仕入れる側が真剣勝負で魚を選び、人より少しでもいいものを仕入れたいと切磋琢磨することによって、地元にいい魚が回るようになるし、自分の目で確かめていいと思えば、価格も自信をもってつけられる。結果として熊本全体のすし文化もレベルアップしていくと思うんです。

地震後、市場の競り人さんが弱気で仕入れをしていることにも危機感をもっています。魚の水揚げ量は変わらないし、漁師さんたちも生活がかかっていますから、熊本の市場に売れないなら、いい魚がどんどん東京とか大阪に回ってしまう。いざ僕らが仕入れたいと思ったときに、地元なのに東京価格で仕入れることになったら、それもおかしな話です。

もともと築地市場を見ても、九州の魚の存在感は大きいんですよ。東京のすし店だって、九州が時化ると困るくらい。実際、天草にはすし向きのおいしい近海魚が本当に豊富にある。だから、なんとか熊本のいい魚介がちゃんと地元に流れる状態を保ち続けたいなと思うんです。

逆境でも

楽しむこと

16日から24日の休業中は、お酒の仕入れ先である「いのもと酒店」の片付けを手伝ったり、同じ九州のすし職人仲間と益城の避難所で炊き出しをしたり、日々状況を見ながらできることを模索したと中原さん。しかし、ずっと心にあったのは、「一日も早く店を開けたい」という思いだったという。

僕自身は、4月いっぱい車中泊していたとはいえ、その車が弁当などを運ぶための大きなバンだったのでマットを持ち込めましたから、けっこう元気でした。店も無事だったのに、自分はどうして休んでいるんだろうと。もちろん飲食業ですから日銭が入らないと回らないというお金の面もありますが、やっぱり僕はすし職人だし、自分はすしを握らないとダメだと改めて思いました。​

車中泊のバン

近所でも、地震をきっかけに廃業してしまったお店があります。正直なところ僕だって、もし店に大きな被害があって、新たに大きな投資が必要になったらこのまま熊本で再起できるかどうか、考えてしまったかもしれません。

福岡では西方沖地震、東京では東日本大震災とそれぞれの修業先で大きな地震を体験しました。ですから、こうやっていったん物流や人の往来が途絶えてしまった後に、街が元通りにぎわい、お客さまが戻ってくるのには相当時間がかかることはわかっているつもりです。

でも幸か不幸か店が無傷で残って、自分は30代でと考えたら、工夫次第でどうにでもなるなと。もちろん大きな被害があった方もおられるわけですが、だからこそ、自分は自分で今できることを精一杯しなければ、とも思う。地震で辛いとばかり言っているより、自分なりに楽しく店を続けていれば、その空気は伝わるはずです。

長くすしを

握り続けるために

念願の営業再開は4月25日。当日は、それほどお客は多くなかったが、営業再開がホームページや口コミで伝わると、26日は再開を喜ぶ常連客で満席に。ゴールデンウィーク中も毎夜営業したが、カウンター10席が連日埋まったという。これまでに培った信頼を糧に、中原さんは「どん底から這い上がればいい」と明るく言う。

みんな、ゼロからのスタート。開業当初はこの店も1か月に4〜5回ノーゲストの日がありました。当時のことを考えたら、地震があろうとなかろうと最初は経営がきついわけだから、逆に今は新しく何かをはじめるチャレンジの機会ととらえることもできますよね。

今も百貨店に弁当を卸していますが、デリバリーをもっと本格的に手がけることも考えています。これから復興事業で、熊本に仕事に来られる県外の方が増えてくると思うんですが、きっとそういう場面では、なかなかランチをどこかに食べに行ったりはできない。そこにうまい和食弁当を届けたら喜んでもらえるかと思うんです。

仙八はおまかせで1万2000円という値付けですし、ある程度限られた客層に向けた店ですが、同じすしでも、カウンターの上にネタケースがあってメニュー表があって、少しでも注文できるというカジュアルなすし店もできたらいいなとも考えています。あと何十年も商売をしていくのですから、まわりの若い方々にもすしに親しんでもらい、一緒にステップアップしていくことも目標。そして、自分が50代60代になっても、元気にすしを握り続けたいと思います。

取材・文/坂根涼子

 

店舗情報

店舗

鮨 仙八

熊本市中央区花畑町13-24 花畑ビルB1F

TEL: 096-322-9955

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